グリム童話を考えた


某掲示板で話題になったもの。
グリム童話のどの版でも冒頭のお話になっている「かえるの王様」という話がある。
ある、日本でつくられたらしい版では、そこに4行の詩が加えられている。この詩にはどんな意味があるのだろう? それがテーマだ。

4行の詩は、こういうもの。主人公のお姫様による手まり歌として物語の冒頭に出てくる(物語の最後にも出てくるらしいが、そこではどういう形なのか、ぼくは知らない)。

 The garden is full of the scent of roses:
 A spider is weaving mysterious words.
 Set out on your journey, shepherd,
 Before stars are dimmed by day.

 ばらのかおりはそのにみち
 くもはあやしの文字をおる
 いざたびたてよ ひつじかい
 あかつき ほしをけさぬまに

お話の内容は、こんな感じ

この版は、ある団体から絵本とCDでリリースされている
ぼくは、もともとグリム童話というのはどんなものなのか、この詩を追加した人何者で、どんな意図があったのか、そんなアプローチでしばらく考えていた(これはこれでとても面白い調査と想像だった。ちょっと検索するともっといろいろ出てくるので、関心のある方は検索してみよう(^^;;)のだけれども、その結果、「そこに何が書かれているのか」に無頓着になっていたようでもあった。

この版は、上演されることが前提になっているのか(絵本もCDも現物を見ていないので、なんともわからないが)、しばしば子どもたちのために、素人さんが演じてみせたりもしているようだ。 
そこで改めて、「観劇する立場」で出くわしたら、どう受け止めるかを考えてみた。
以下が、その思考シミュレーションだ。
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各行からパッと受ける印象を、この手まり歌が目の前で歌われたら、と思いながら拾ってみました。

ばらのかおりはそのにみち    明るい、楽しい
くもはあやしの文字をおる    怖い、気持ち悪い、「1行目から2行目へは時間の経過がある」と感じる
               (なぜだろう? 無意識に「そして」というような言葉を補ってしまう?)
いざたびたてよ ひつじかい   力強い、前向き、キリスト教的
あかつき ほしをけさぬまに   ???(「夜が明ける前に」ってこと?)

4行目でわからなくなります。
で、谷川雁のことも、グリムの作為も忘れるように努めつつ(^^)、どういうことだろう、と考えると、「闇がなにかを隠す」のではなく、「光がなにかを隠す」のだということが主旨をわかりにくくしていることに気づきました。
「闇がなにかを隠す」というのは、往々にして無知や体験の少なさから気づかないことがある、
というような意味合いに思われます。
逆に「光が隠す」のだということは、「考えたり、思いを巡らすことで見えなくなるものがある」ということなのかな、と考えました。
次に、「経験を積む(年齢を重ねる)とわからなくなりがちなことがある」ということかも、とも考えました。
確か、聖書に「明日のことを思い煩うな。野の花はそんなことは考えないけど美しいぞ」みたいなことが語られていたような。
単純に「夜が明ける前に」というようなタイミムリミットを示すのであれば、「日が昇る前に」とか、もっとわかりやすくそれを示す表現がありそうなものです。
ということは、やはり「星」が隠れてしまう、しかも、雲や闇が隠すのではなく、光が隠すというところに意味がありそうです。
一歩下がって、「星」ってなんだろうと考えると、古来「道しるべ」ですよね。
天の星を道しるべにする、ということと、なにか関係がありそう。

一方で。
この歌は物語の最後にも出てくるのですね。
観劇する人は、物語の最初には、なんの先入観もなくこの歌を聴きますが、物語の最後にもう一度聞くときには、すでに物語の内容を知っているという違いがあります。
「かえる」はいったん家を辞して、夜明けの頃に戻ってくるのでしたっけ?(この版では違うかな?)
また、そうでなくとも、お姫様は夜が明ける前に、かえるが実は王子だったことに気づくのですよね。

小さな子どもたちにとって、世界は理解できないこと=不条理に満ちていて、それをそのまま受け止めていると思われます。
夜になると暗くなり、朝になると明るくなること。
100円玉をひとつ出してお菓子を買うと、なぜかいくつもの10円玉や1円玉が返ってくる=お金が増えること。
同じチャイムの音なのに、さっきは「教室に入りなさい」という意味で、今度は「外に出てもいいよ」という意味に変わること。
固いインスタントラーメンが、おかあさんが鍋で火にかけると、食べられる柔らかさの、おいしいラーメンに変わること(お米でもいいけど)。
さっきまで冷たくておいしいアイスクリームだったのに、地面に落ちたそいつはただ溶けていくに任せるしかない、拾って食べてはいけない、なにか別のイケナイものに変わってしまったこと。
なかよしのお友達が、おもちゃの取り合いになると、突然、聞き分けが悪くなるときがあること。
いつもは暗くなる前、夕方に保育園にお迎えにくるおかあさんやおとうさんが、最近(冬)は、ずーっと遅い時刻としか思えない、暗い暗い夜になるまで迎えに来なくなること(3年前、年長さんの頃、「どっちも5時なんだよ」と言われたときの、下の娘の驚きを思い出してしまった)。
優しいおかあさん、おとうさん、先生が、躾のためであれなんであれ、突然怖くなるときがあること。

だから、かえるが王子様に変身するのは、当然のように「あってもおかしくないこと」かもしれない。
それは、夜の闇のなかでは、さらにさらに、とってもありそうなことでしょう。
でも、明るくなると、ありそうもないことに(自分の中で)変わってしまう(かもしれない)。

夜の闇の中でこそ見える道しるべがあることを、忘れちゃいけないのか。

これが作者(加筆者)のメッセージなのか? それはわかりません。でも、できるだけ言葉で書かれていることだけから考えたときに、そんな思いにたどり着いたのです。こういう方法だと、もっともっと違う読み取り方がありそうです。それでいいのだろうとも思います。

背景や関わった人も含めて「分析的に考えること」も含めて、答えはひとつではない。それでいいや、という気持ちにもなったのです(^^)

Posted: 火 - 12月 23, 2003 at 04:49 午前            


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