PJ Bassなんて言葉があるのね


最近、どうも思い出されてしかたがないベースがある。
高校生のとき('78-79年頃)に小川町にあったESPでイージーオーダーしたものだ。
フェンダー・プレシジョンのボディにテレキャスター・ベースのネックを付けた、ちょっと変わり種。

と言うと、見当がつく人もいるかもしれない。
当時大好きだったバンド、BB&AのTim Bogartのマネをしたのだ。
Tim Bogartのベースがどのようなものだったかは、本人が質問に答えているページがある。
http://oyt.oulu.fi/tbl/archive/VOL1998/200-299/bl267.html#22
(これ、ベーシストのMLだが、The Bottom Lineなんていうから、最初は、
往年のラジオ番組「ライブ・フロム・ザ・ボトムライン」のお店かと思ってしまった)

こちらは、ESPで作っているわけだからすべてESP製のパーツ。
その頃、足しげく通っていたESPで、製造部長とかいうオニイチャンに
「安くしておいてやるから1本作れ」と言われて作った。10万ほどかかったはずだ。
値段を聞いたときは「ええー、安くないじゃん」と泣きたくなったのを覚えている。
当時の私としては「清水の舞台」ってやつで、母から借金をして買った。

ピックアップも、当時ESPが出し始めた、ディマジオ風のクリーム色の外観をもった、
ハイパワーなものを付けたと記憶している。
ボビンの中央に穴があった。六角レンチで高さ調節ができたのかもしれない。
高域の倍音がよく出ていたという記憶がある。
けっこう、バリンバリンという感じのアグレッシブな音がして、エフェクターのかかりがよかった。

どうも記憶が定かでないのが、リアピックアップを追加したかどうかだ。
ティム・ボガートの真似をしたならつけているはずだ。
しかし、そのころのESPにはギブソン・タイプのハムバッキングのリア・ピックアップは
なかったのではないか。他社のピックアップとなると、みな輸入品で手が出なかったはずだ。
すると、ジャズベースのピックアップをつけた可能性もあるのだが、
2ピックアップにしていたならば、サーキットにも手を加えているはずだ。
そこが全く記憶にないのだ。ということは1PUのままだったのか。当時のメンバーが持っていた、
当時の不鮮明なステージ写真があるのだが、それで自分を見ても、PUが映っていない。

指板は定かではないがローズウッドだったかな。世間にはメイプルが多かったので、
わざとローズを選んだような記憶もある(ヘソ曲がりなのである)。
ボディカラーはオールド風の2カラー・サンバーストかな。
ヘッドには、おそらくNavigator(ナビゲーター。ESPのブランドのひとつ)のロゴがあっただろう。
イージーオーダーなので、パーツからなにから全てを指定しなければならず途方に暮れたっけ。
いまふと「宝の持ち腐れ」という言葉が頭をよぎった。そうだったかも……。

練習では一所懸命に弾き込んだが、おそらくこの時分、ステージでは1、2度しか
使っていないのではないか。いや、活動がそんな調子だっただけだが。
それなのに、ボディ背面の塗装はバックルスクラッチで剥がれてしまった。
それに気づいたときはちょっと悲しかった。

このベース以前に使っていたアリア・プロIIのやはりプレシジョン・モデルがあったのだが、
これはその頃の兄嫁に譲った。やはりサンバーストだったかなあ。
そして、いま、わが家にはベースギターはない。

というのは、購入してから3〜4年ほど後の学生時代、82年ごろだと思うが、
熊谷の質屋で流してしまったのだ。
流すつもりはなかった。
夏休み、1ヶ月以上下宿を離れるときに、同じ下宿で親しくなった友人に利息だけは納めて
くれるように託したのだが、質屋のシステムを理解できていない彼は、2度目の
利息支払いに気づかず、休みが明けて下宿に戻った私に「お金、残ったよ」と託した金額の
半分を返してくれた。とほほほほ、なのだが、まあ、そもそも質に入れた私が悪い。
また、ここが若さゆえのバカなところなのだが、支払っていないことがわかったときに、
すぐさま質屋に駆けつけてみればいいものを、落胆してしまって「流れた」と思い込み、
「絶対流さないから、金を貸してくれ」と質屋のオヤジに頼み込んだ手前もあり、
以来、質屋に足を運ぶことはなかった。
そんなにすぐに買い手が付くわけもないのだから、すぐに顔を出していればまだなんとか
なったかもしれないのだよなあ。返す返すも無念だ。

そもそも、金を借りるときもバカだった。単に友人の住む浅草に遊びに行く金がなかった
だけだったのに、なまじ思い入れが強いものだから、いかによいベースなのかを質屋のオヤジに
力説し、さらにオーダー品だから世界中にこれ一本しか存在せず、したがって必ず受け出しに来る
と強弁して、1万円と言っていたオヤジから2万円ふんだくったのである。
そんな金なのに浅草でほとんど使い切り、まとまった金など作るアテもなかったために、
以降、仕送りを親から受け取るたびに4千円前後の利息だけを払いに行く状態を延々続けたのだ。
1年近くもそんなことを続けただろうか。当然、元金を凌駕する金を払い込んでいるわけで、
本当にバカである。必要最低限の金だけを借りていれば、翌月にでも受け出せたはずなのに。

このベースのことを、最近やたらと思い出す。
もう一度、取り戻したいのだ。
最近古いギターを友人から譲り受けたせいもあるかもしれない。
新たにベースを買えばよいようなものではあるのだが、いまひとつその気になれない。
安いものなら買えないというわけでもないが、どうも踏ん切りがつかない。
身勝手なもので、あのベースがどうなったのかが気になるのだ。

いまの世間では、Precision BassとJazz Bassの頭文字をとってPJなどという呼び名があるようだ。
が、それでもこういうTelecaster Bass Neckのベースは少数派のようだ。

いまも、熊谷の、あの質屋はあるのだろうか。
そして、あのベースはどこかにあるのだろうか。夢の島かなあ(いまだとお台場の地下か?)。
このページを作ったのは、ひょっとするとどこかであのベースか、似たようなベースを
見かけたか入手した人がいて、このページを見てくれたりしないかと思ったからでもある。
ベースの名称や人名をカタカナを使ったり欧文で書いたりしているのも、
検索で引っかけてくれないか、という思いがあるからだ。
だって、どちらで検索されるかわからんではないか。
ここを見たアナタ、もしも、なにか思うところがあったらコメントかメールをください。

渋りつつもお金を貸してくれた母も、ベースを流してしまった2年ほど後に世を去った。
51歳、癌であった。人には「お前が苦労をかけすぎたせいだ」と言われたっけなあ。

Posted: 月 - 7月 7, 2003 at 06:08 午前            


©