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2001年版


2001.9.15

●中学生のR君に

R君の質問:
「子供っていつも大人の言うこと聞いてなくちゃいけないんでしょうか?」

ボクの回答:
「んなことはない。でも、聞くだけなら、いっぱい聞いておきな」

長い長いオマケ:
Somedays never comesっていう歌が、昔、ありました。今でも好き。
  親父は“いつかお前にもわかる”と言う
  でも、いつかなんていう日はこない。
っていう内容だったと思います。「そうだそうだ」と思いました。
歌っていたのはCCRっていうバンド(知らないよね(^^ゞ)。当時20
代前半のアンチャンたちでした。聞いていた当時のボクは10代半ば。
あのころ、20代前半って、すごいオトナだと思っていたなあ……。

親に限らない。中学の時、1年上にイヤな先輩がいて……。
当時の彼の言いぐさには納得できないモノがいっぱいあった。

いろいろなことを体験して、結局「ああ、言われたとおりだったな
あ」ってこともあれば、「なんだよ、そんなことないじゃないか
よ」ってことの二通りがありました。社会が変われば人も変わる
(これ、関係が逆かも)ので、「そうか、親父たちの時代にはそう
だったんだなあ」ってこともあったり。
いまはね「親の意見とナスビの花には千に一つの無駄もない」なん
てコトワザをぼんやりと思い返してます(いや、わたしが親なだけ
じゃなくて、わたしにもまだ親がいるんです)。


オトナに食い下がって、できるだけいっぱい言葉を引きだしてみる
のはいいと思うよ。ブチ切れたらそれはできない。
聞いてみると、意外に、すごく思慮深いんだ、と思えることもある
し、逆に、「なあんだ、なにも考えてないんじゃん」と思えること
もある。
「なんで?」「どうしてそうなの?」「それでいいと、本当に思っ
ているの?」なんて聞いちゃおう。「いいとは思っていないけど、
それしかどうしようもないじゃないか」なんていう、オトナの悲し
い本音が聞けるかも知れない。
聞いてみなかったら「本当に、どうしようもないのか?」って考え
るチャンスもない。
それで、それをどう受けとめるかはR君、きみ次第だけど。

こっちがブチ切れるまで、考えていることをちゃんと話してくれな
いオトナもいる。そういうオトナから話を引き出すのは難しい。ブ
チ切れた「ふり」をかましてやるとしゃべるかもしれない。でも、
ブチ切れたと思われたら、もう完全に口を閉ざしてしまうかもしれ
ない。

オトナだって、みんな同じじゃないし。いろんな人に会って、話を
聞いてみよう。となりのクラスの先生は、ウチのクラスの先生と全
然違う、なんてこと、よくあるじゃない。
いろんなことを考えてるよ、みんな。

本を読もう。歌を聴こう。いろんなことをやってみよう。
いろんなことをやると、いろんな人に出会う。いろんな話を聞く。
書かれていること、歌われてていること、語られていることの中身
を考えよう。そこには、そういうオトナとコドモの対立が、わけわ
かんないオトナの混乱が、オトナのたどり着いた確信が、それこそ
いっぱい現れている。いろんな考え方、感じ方が見えてくる。


R君の言っているオトナって誰だろう。
ご両親? 先生? 街で会った知らない人? 人をたくさん集めて、
なんか自分の考えていることについて話をする人?

おもしろいことを言う人もいるし、なんだかわからないことを言う
人もいるよね。その人の言うことを聞いたら、とっても楽しそう、
っていうこともあるし、別のこの人の言うことを聞いたら、とって
もつまらなさそう、っていうこともあるよね。

信じられるオトナの言うことは信じよう。信じられないオトナの言
うことは、信じろっても信じられないよね。
信じられる人かどうかは、自分で考えるしかない。

信じられるオトナが、きみの周りにいますか? いたら、そのオト
ナの言うことは、わからなくても従える間、従ってみましょう。
信じられる人がいなかったら、どうして信じられないのか、考えま
しょう。
その人は信じているけど「どうも変だ」ってことも、その内にはあ
るはず(ひょっとしたら、もうすでにそうかも)。そしたら、「そ
の人を信じてもだいじょうぶか?」って考えましょう。


どうやって考えたらいいかわからなかったら、本を読もう。歌を聴
こう。演劇や映画を見よう。人にあって話をしよう。いろんなこと
をしてみよう。
そこで見たこと聞いたこと出会ったことを、比べてみよう。どうし
て違うのか(それぞれに違うはずです)。どうして同じなのか(同
じこともたくさんあるはずです)。
その人たちは「自分がどうなりたい」と考えているのか、「人をど
うしたい」と考えているのか、「社会がどうなるといい」と考えて
いるのかが、少しずつ見えてくるはずです。
そうして、迷ったときにも、その人を信じていいのかどうか、自分
で答えが出せるようになっていくのだと、思います。
考えて考えて、それでもわからない。そんなこともいっぱいありま
す。だから、いろいろなことをし続けよう。そのうち、答えが見つ
かるかもしれない。

おっと。これはオトナに限らない。友達や自分に対しても、同じこ
とをしてみるといいな、と思うよ。
実は、オトナになってもこれは続く。「社長のいうことは正しいの
かな」「都知事のいうことは正しいのかな」「首相のいうことはど
うだろう」「よその国の大統領のいうことは?」
どこまでも。

多分、きみが考えて出した答えの大部分は、すでにいろいろな本の
中に書かれている。だから本を読もう。でも、本で簡単に見つけた
答えは忘れやすいかもしれない。苦労して自分で見つけた答えは、
なかなか忘れない。
簡単に見つけた答えが正しくて、自分が苦労して出した答えは、間
違っているかもしれない。だから考え続けなくちゃいけない。

考えるのをやめると、信じることもあやしくなる。


無条件に信じられる人がいるのは、とても幸福なことだ。なんの疑
いもはさまないで、その人に従えるのは、きっととても気持ちがい
いだろう。
ひとつ一つ自分で考えて、どうしたらいいのかを自分で決めたら、
「だって、これがいいって言ったじゃないか」と誰かを責めること
はできない。でも、「ボクはアナタを信じていたのに、アナタはボ
クを裏切った」と簡単に言えるのは、とても楽なことだろうと思う。

10歳ぐらいまでは、親や先生を無条件に信じていられる。でも、親
や先生にも、いろんな人がいることを知ってしまう。
「大人の言うことを聞かなければならないのだろうか」と考え始め
た君は、少し大人になった、ということなんだ。


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